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スペリオル (ウィスコンシン州) : ミニ英和和英辞書
スペリオル (ウィスコンシン州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [す, しゅう]
 (n) sandbank

スペリオル (ウィスコンシン州) : ウィキペディア日本語版
スペリオル (ウィスコンシン州)[す, しゅう]

スペリオル (Superior) は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州北西端に位置する都市。スペリオル湖港湾都市であり、同州ダグラス郡郡庁所在地である。人口は27,244人(2010年国勢調査)〔American FactFinder . U.S. Census Bureau. 2011年.〕。セントルイス川対岸のミネソタ州ダルースとともに人口279,771人(2000年国勢調査)を数える都市圏を形成している〔。市の南にはスペリオル町およびスペリオル村が隣接している。
スペリオル港はダルース港と同じ湾を共有しており、これら2つの港をあわせて''Twin Ports''(双子の港)と呼ばれている。この「双子の港」はメサビ鉄山をはじめとするミネソタ州北東部の鉄山で産出される鉄鉱石の積出港であり、五大湖セントローレンス水路の起点となっている、同水路上で最も重要な港湾のひとつである。
==歴史==
:''ダルース (ミネソタ州)#歴史も参照のこと''
ヨーロッパ人が入植する何千年も前にこの周辺に住んでいたネイティブ・アメリカンたちは、マウンド・ビルダー (Mound Builder) と呼ばれる、塚を築いての土葬を行う種族であった。また、彼らは周辺の山での採掘を行い、武器・道具・装飾品などの青銅器も作っていた。これらの青銅器は彼らが葬られた塚から出土された。文明水準の高かったこの種族は最終氷期が終わった直後にスペリオル湖岸のこの一帯に住み着くようになった。
この一帯に初めてヨーロッパ人が足を踏み入れたのは1618年のことであった。フランスの地理学者サミュエル・ド・シャンプランの航海調査員だったスティーブン・ブルール (Stephen Brule) はスペリオル湖の南岸を航行し、この地のオジブワ族に出会った。ケベックに帰還すると、ブルールはこの地から持ち帰った銅のサンプルとともに、この地の土産話を聞かせた。1632年に発表されたシャンプランの地図には、ラック・スペリオル・ド・トレーシー (''Lac Superior de Tracy'') と記されたスペリオル湖とフォンデュラク (''Fond du Lac'') と記されたスペリオル湖南岸の地が載っていた。1692年ハドソン湾会社セントルイス川の対岸、ダルース側にネイティブ・アメリカンとの毛皮の取引を行うための取引所を開設した。またその頃、この入植地に訪れた白人の使節団は文明をもたらした。
その後100年近くは毛皮の取引所が増設されることはなかった。この地域で2番目となる取引所は1787年に開設されたもので、これはスペリオル側に建てられた。1800年にこの取引所は消失してしまったが、すぐにドイツ移民のヨハン・ヤコブ・アストル (John Jacob Astor) の毛皮会社の取引所がダルース側に建てられた。
またこの一帯は水上交通の要衝であった。スペリオル湖に流れ込む川とミシシッピ川の支流とがウィスコンシン州ソロンスプリングス (Solon Springs) 付近の分水嶺での短い連水陸送で連絡できたからである。この交通路はウィスコンシンの毛皮取引商にもよく使われた。特にフランスとフォックス・インディアンの戦いの最中には、南からの陸路が戦争のために通行不能であったため、この北回りの水路は貴重な交通路であった。
しかしやがて毛皮の取引は下火となり、この一帯の入植地はいったんは寂れた。しかし1850年代に入るとこの一帯で鉱業が興り、この地は再び活気を取り戻した。スペリオル湖東端のオンタリオ州ミシガン州にまたがる国境の町スーセントマリー運河閘門が完成し、スペリオル湖とヒューロン湖ミシガン湖、さらに下流のエリー湖オンタリオ湖セントローレンス川をつなぐ水上交通路が完成した。さらにスペリオル湖と太平洋を結ぶ大陸横断鉄道の計画もなされ、後にノーザン・パシフィック鉄道として実現された。1854年にはスペリオルはウィスコンシン州の正式な市になった。1857年にアメリカ合衆国全土を襲った経済不況によって再び寂れるが、1860年代後半に入るとミネソタ州側のアイアン・レンジ鉄鉱石の鉱業が興り、スペリオルはすでに港湾都市としての地位を確立していたダルースと共に水上・陸上交通のハブとして発展していくようになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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